阿波踊りは、徳島県を発祥とする盆踊りで、日本三大盆踊りの一つとしても知られています。
この踊りは江戸時代に始まり、当時の農民や町人が、豊作や疫病退散を祈願して踊ったとされています。
阿波踊りは、踊り子と鳴り物(太鼓、鉦、笛)のコンビネーションで構成され、踊り子は男踊りと女踊りに分かれます。
踊り子たちは踊りの流派や所属する連(れん)によって、服装や装飾品、踊りのスタイルが異なります。
毎年8月に徳島市で開催される「阿波踊り本祭り」が最も有名で、約10万人の踊り子と約100万人の観客が集まります。この祭りは会場踊りと会場外踊りに分かれ、会場踊りでは連がそれぞれの会場で踊りを披露し、観客は有料の観覧席で鑑賞することができます。一方、会場外踊りは連が市内を練り歩きながら踊り、観客は無料で沿道で鑑賞することができます。
阿波踊りは徳島県以外にも全国各地で開催されており、東京の高円寺や埼玉の越谷などは関東三大阿波踊りとして知られています。
阿波踊りの歴史
阿波踊りの起源は諸説あるが、最も信憑性が高いのは、徳島藩祖・蜂須賀家政が徳島城を築城し、城内の労働者や町民が「めでたや!」と叫びながら酒と踊りで祝ったことに始まるという説があります。
めでたや!" 今から400年以上前の1586年のことといわれています
江戸時代、染料や塩の生産で栄えた徳島の町で、商人や町人が豪華な衣装や楽器を身につけて競い合う阿波おどりは、にぎやかな踊りであったようです。
また、農民や漁民が豊作や疫病退散を願って踊る民間信仰的な側面も持っていました。このように阿波踊りには、豪奢な町踊りと力強い農村踊りの2つのスタイルがあります。
明治時代、阿波おどりは徳島の郷土芸能として県外に紹介された。昭和に入ると、戦後復興のシンボルとして「阿波おどり」が盛大に開催されるようになった。東京の高円寺や埼玉の越谷などから始まった阿波おどりは、全国に広まりました。
さらに、阿波おどりは国際的な文化交流の手段としても注目され、海外のフェスティバルやイベントにも招待されるようになったといわれています。
阿波踊りの音楽
阿波おどりは、日本の伝統的な踊りを彩る音楽形式であり、「お囃子」と呼ばれています。
この音楽は、大太鼓、〆太鼓、三味線、篠笛、そして指揮者の役割をする鉦といった楽器から構成されています。
お囃子の音楽は、2拍子のリズムが基本であり、踊り手の掛け声とともに独特の雰囲気を作り出します。また、「正調」と呼ばれる古典的な曲と、「新調」と呼ばれる現代的な曲があります。正調は、「お囃子よしこの」という歌詞がついた曲で、阿波おどりの原曲とされています。一方、新調は、正調に比べてテンポが速く、リズムやメロディが複雑で、様々なアレンジが加えられた曲となっています。
阿波おどりの音楽は、日本の伝統音楽だけでなく、映画音楽としても利用されています。
例えば、『ラ・ラ・ランド』の監督であるデイミアン・チャゼルの新作映画『バビロン』では、阿波おどりの音楽が劇中で使用されています。
また、名古屋のミニシアター「名演小劇場」では、阿波おどりの音楽を特集した映画祭も開催されています。
このように、阿波おどりの音楽は、日本の伝統音楽としても、映画音楽としても多くの人に愛されているんですね。
阿波踊りで実際に躍る人はどのような人たちですか
阿波踊りに参加する人々は、「連」と呼ばれるグループに所属しています。
連には、地域、企業、学校、サークルなど、様々な背景を持った人々が集まります。特に、徳島市阿波踊りでは2010年に1000グループに達し、参加者は約10万人にもなります。
また、東京高円寺阿波踊りでは169グループがあり、観客動員数は88万人にもなります。
阿波踊りに参加する人々は、踊りの練習や衣装の準備などに励んでいます。また、著名な人々や芸能人などもゲストとして参加することがあります。
例えば、2022年の徳島市阿波踊りには、武田修宏、大河内美紗、石丸佐知などがゲストとして踊りました。
阿波踊りは外国人にも大人気
阿波おどりは、独特のリズムと踊りで観客を魅了するお祭りで、外国人観光客でも参加できる祭りであり、阿波おどり会館では外国人観光客の受け入れに力を入れています。
また阿波おどりは海外にもファンが多く、「鳳山」というグループがニューヨークやパリなど様々な国で公演やワークショップを開催しています。